青天井と対面式

自称マイナーな人生・趣向で生きてきたブログ。現在デザイン各種調整中!

20180122192050

テレビで暴行動画を流す『視界の暴力』は何故許されているのか?

どうも、芝柳 薫です。

これは私がずっと前から疑問に思っている事であり、頼むからなくしてほしいと心から思っているものの一つです。

 

皆さんはニュースで流れる『海外のデモ映像』『事故が起こった時の防犯カメラ映像』『YouTubeに上がっていた動画』を一度や二度見た事があると思います。

最近はネットのニュースでも動画付きが主流になっており、最早言葉でなく動画で伝えるのが人に物事を伝える手段と言っても過言ではありません。

 

ですが私は、このニュース映像に対して前から不思議に思っている事があります。それは『公共電波に乗る暴行映像』です。

 

『海外の差別による暴行』『障害者施設の防犯カメラが捉えた虐待』『いじめの様子を捉えた隠し撮り』など。

いずれもこれらは子供から大人まで見るようなテレビのニュースで朝・昼・夕方の時間帯を問わず事件があれば流れます。一体何故でしょうか?

 

それらの動画はいつも直接的です。人を殴ったり、物で叩いたり、罵詈雑言が飛び交ったりしています。

人の顔がモザイクで隠されてはいますが、被害者/加害者の声・カメラの擦れる音・生々しく撮られています。そして本来それは公開されるべきではない動画だと私は思うのです。

元々YouTubeに載っている動画だったり、警察が確認する為のもの。見たい人が見ればいい、自己責任であればいいと思うのです。

 

血が映っているだとか、映っていないだとか。そういう話ではありません。

 

そのような暴行動画を流しながら平然と

「この動画についてどう思いますか?」「これはですね・・・」

平気でコメントするテレビというこの公共電波がおかしいと言っているのです。

これこそ視界の暴力だと何故分からないのでしょうか?

 

人間誰もが争いごとは避けたいはずです。そして世界が平和である事を祈っているはずです。全員が全員とは言えないかも知れませんが、平穏である事を少なからず願わずにはいられません。

ですがこういった公共電波に載せられ、わざわざ胸を痛めるような動画を流すのは何故でしょうか?全員が「事件の暴力場面を見たい」とでも思っているのでしょうか?

 

映像を流すのは簡単です。物事を説明せずとも、一目で状況が分かり説明する手間が省けます。けれど暴行動画に関しては映像でなく説明では駄目だったのか、といつも考えてしまいます。

口頭の説明でも「叩く・殴る・蹴るの暴行」というだけでも十分状況は分かります。何で殴っただの、物をどうしただの。伝える方法はいくらでもありますし、我々はそこまで想像力のない人間ではないです。

 

テレビという公共電波ともあろうものがこの状況を野放しにしているという事は、リアリティーを求めるからでしょうか?

「こんな証拠映像があります。見てください。」と顔を背けさせないのは衝撃的な映像で視聴率を取る為でしょうか?

 

「暴力はいけない」「平和になりますように」と願いながらも見たくもない、隠された映像を公に晒すテレビはとても矛盾しています。

 

暴行を報道するな、と言っているのではありません。『当たり前に暴行映像が流れる事』を批難しているのです。

暴行映像を見ると胸が痛むだけではありません。虫唾が走ります。嫌がる人まで見せているのですからイジメ=『視界の暴力』です。

私の場合、加害者への怒りが込み上げて怒りに震える事もあります。正直「こいつは被害者と同じ苦しみを味わえ!!」と理性を欠いてしまう事もあります。

要するに『リアルな暴行動画を見てしまったが為に、心乱され感情的になり、平和からまた一つ遠のいていく』のです。

 

また新たな怒り悲しみトラウマを引き起こして人々の生活を徐々に荒んだものに変えていくのです。テレビはそれに加担しているのです。これの何が報道ですか?これの何が平和だと言うのですか?

 

私はこんな見たくもない動画を見てしまったが故に、嫌な思いをしたり、傷つく人がいるのだと伝えたいのです。私は何も『事件を知りたい』だけなのに『事件が起こった映像を見たい』のではないのです。

ですからどうか報道関係者は見直してほしいんです。『視界の暴力』を。欲に駆られた『醜い報道の有様』を。

 

どうか皆さん賛同されましたら拡散やコメントを頂けると嬉しいです。こんな公共電波による横暴な連鎖を止めたいです。

 

ここまで読んでくださり、有難うございました。