青天井と対面式

自称マイナーな人生・趣向で生きてきたブログ。現在デザイン各種調整中!

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スーパーの品出しなんか二度とするか!家庭もモラハラ自殺未遂!

やっとの思いで就職が決まった私。『スーパーの品出しって想像出来ないし、まずは何事もチャレンジ!やってみないとね!』とこの時意気込んでました。

結論から言って3年も働いてた訳なんですがよく3年も続いたなと。

よくあんな場所にこんな私が就けたなと。二度とやりたくないです。

家庭事情での重~い出来事も含めて書いていきますね・・・。

 

前回の就職までの道のりはこちら↓ 

shibayanagi.hatenadiary.com

 

 広告を見た時は品出し自体になんとなく興味がありましたし、そこまで深く考えてませんでした。

私にしては珍しくこの時の面接の出来事を覚えてるんですがちょっと店長の言い方が怪しかったです。

 

「ここに来るまで1年ちょっとぐらい間があるけど・・・働かなくてもいいくらいお金持ちだったってことかな?^^」

 

・・・・はい?笑顔でそんな事聞きますか普通?父が脳梗塞で倒れまして~・・・と言ったら「あぁ~・・・」みたいな反応でしたがなんか嫌味な感じがしました。

面接後人手不足だからと思いますが即採用になりました。その時店長がボソッと「せめて3年はもってくれよ・・・・」と聞こえました。

なんかこの店長、笑顔が怖いといいますか作り笑いな感じがしてたので苦手でしたね。人の事情をなんだと思ってるんだ・・・って感じでした。

 

晴れて就職。もうすぐ一年が終わろうかと言う時に安定した職が出来て嬉しかったんです。

けれど上司と客の板挟みで1年経たない頃に『辞めてやる!!こんな所いつか辞めてやる!!!』と心の中で強く思っていました・・・。

 

品出しは確か5時間勤務でしたかね。休憩なしだったんで昼ご飯食べたら行かなくちゃ、くらいのサイクルだったかと。

言いたくないですが給料は広島の最低賃金下回ってました。今はどうか知りませんけどね。

 

仕事内容は新しい商品を並べる・バックヤード(店の裏方)から物を出して並べる・お客さんに聞かれたら答える・商品の前出しが主でした。

前出しというのは賞味期限が古い商品を一番手前に配置して、新しい物を奥にする事です。

品出しして数週間後。とにかく最初は分からない事だらけ。何をどこに置いたらいいのか・配置は知らない・お客さんに場所を聞かれても分からないで右往左往する日々でした。

時にバックヤードから持ってくる商品と、陳列してある商品と見当たらない事があってそんな時はバーコードと照らし合わせて一つ一つ確認していきます。地道な作業です。

なのである時品出し中、照らし合わせるよりも先輩に聞いた方が早いかな?と思って「商品の場所が場所が分からないんですが・・・」と聞くと第一声が

「・・・・は?」でした。

 

・・・人に物聞かれて「は?」って何ですかそれ。どうやら品出し担当じゃなくレジのおばさんだったんですが衝撃でした。「・・・ないもんはないけえ」と言われてそそくさと去っていきましたが嫌な印象しかないです・・・。

 

これから新たな地獄の始まりです。

 

まず商品が異常なまでに重いです。1Lの醤油がよく棚の下付近にあると思います。

あの1L醤油x15が入ったコンテナl_lを台車に乗せるところから始まります。不安定な台座(兼台車)に乗り、自分の身長より上の場所から落とすようにして置きます。

醤油だけでなくサラダ油・細かな調味料類・小麦粉などなど種類は多種多様です。

またコンテナが3x3で乗っているんですがこれもお客さんの位置を見ながら台車i___iで運ぶのですが扱いを間違えると足を轢きます。

一瞬でも何十キロもの台車が足に乗ります。現に私は最低2・3回轢いてます(痣にならないですがめちゃくちゃ痛いです)。

お客さんからもその品出しの様子は見れるようになっていて、親が見に来た時は「重かったら他の人に手伝ってもらうんよ~」と言われましたが私は意地でも手伝いを頼みませんでした。極力上司や他の人間と関わりたくないからです。

本当にどうにもならない時ぐらいしか頼まなかったですね・・・。

 

そして上司ですが私の品出し担当の上司(女)はと・に・か・く評判が悪い!!

自分の機嫌が悪いと怒鳴るし、必要な時にはタバコ休憩でいないし、何より上から目線で周りからも嫌われていました。

「年だから早く引退してくれ」だの「他の部署に移動にならないかだ」の言われましたが私がいた時には結局そんな事は起こらなかったですね・・・。お局的な立場でしたし無理だったんだと思います・・・。

 

ある日新商品が来たらサンプルで20個持ってきて、と言われました。

商品は台車にどれだけ積んであるのか大まかにしか分からず、コンテナを開けないと中身は分かりません。なので並べる時に開ける現場の私でないと分かりませんでした。

前に同じような事を言われた時「はよ持ってこんかい!!」必要数に満たしてないのに言われた経験があったので、その時は早めに新商品が入ったら入っただけ持って「とりあえず◯個だけきましたー!」と報告しに行くと

「まだ20個なってないじゃんか!20個なってから持ってきんさい!!」と怒鳴るように言われもう嫌になりました。

それで20個で持ってたら「はいありがと。」と軽~くあしらわれます。感謝を言うだけ有難いのかも知れませんがそんなに怒る必要ってあったんでしょうか・・・。

その上司がいないシフトの時が天国だったなぁと今思い返します・・・。

 

同僚は重い荷物を抱えたりするのと、そんな上司がいたりするから数ヶ月後に辞めたりしてました。

分かってくれる人もいたんですが、休憩時間がないので仕事中にボソボソと喋ったり喋らなかったりで気の弱い人は責められるし。職場の闇ですね。

 

追い打ちのかけるのがお客さんです。

今でも脳裏に焼き付いて離れない出来事がありました。

 

働いてから暫く経った時の事(1年未満)。お中元だかお歳暮だかの牡蠣をオススメする仕事を任されました。

私一人で説明するので緊張していましたが、必要な事は全部冊子に書いてあると言われたのでなんとかなると思ってたんです。

 

すると見た目普通の男の人がやって来ました。オススメすると興味を持ったようで送ってみる気になったようでした。

でもその人冊子にないような事を聞いてくるんです。仕入れはどこだとか、どこで捌いたやつだとか色々。困った私はその度に鮮魚担当の人に聞きに行ったり駆け回ったりしました。

 

すると

「最低の接客だな。」「君じゃ話になんないから上の人呼んできて。」と言われてもう顔真っ青です・・・。

 

仕方がないので店長を呼んでくると「もっと説明出来る子置いた方がいいよ?この店の為だし?」と色々言っていました。そして結局何も買わずに帰っていきました。

 

・・・言いたくないですが言わせてください。

 

一体こういう物言いをする人は何様のつもりなんでしょう?

"お客様だから?"私には一生分かりません。分かりたくもありません!!

 

・・・少し感情的になってしまいましたが「最低の接客」と言われたのが今でも凄く頭に残っているんです。

その後もこういう仕事を任されましたが「冊子にない事を聞かれたらどうしたら良いでしょうか・・・?」と聞くと「うーん・・・まあそん時は聞いてきて?」とまたも軽くあしらわれます。

説明不足です。そして私はあまりに役不足です。こんな人間に仕事を任せるなと。

 

他にも大きな台車i__iを片付ける時バーの部分を分解して乗せるんですがこれが重くて大変。しかも外にある為雨の日でも必死に濡れながら片付けてた時もありました。

あと台車に乗って少し高い位置のお菓子の品出しをしている時に「どいてー!!」と大きな声で言ってくる子供がいてそれも当時頭に来てました。

『どういう教育をしているんだ?』と思いましたが、その子が欲しいお菓子の場所にいた私が悪いんです。私は店員です。だからお客さんの邪魔をしてはいけませんから。

 

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私は前出しが何故か苦手で、いつもいつも上司に怒られてばかりいました。私の見える範囲でちゃんとしたんです。でも上司からしたらしてないと言われました。

それに陳列がいつも汚い・賞味期限を前にするのが仕事だと散々説教もされました。

でも陳列が乱れてくるのは取るお客さんの方にだって原因があるはず。私が綺麗に整頓してもそのあと適当に取られては陳列も乱れます。

 

・・・・けれどそんな事言えませんでしたし、3年間ず~~~っと言われ続けたんですから私に技量がなかった。学ぶ気がなかったと言われればそれまで。

残業も1・2時間当たり前になってきて(いつになったら晩ご飯食べれるんだろう)と思いながら徒歩30分の道のりを帰ったりしましたね・・・。

商品棚の横に4つ連なったお菓子があると思うんですが、品出し中の私の頭に落ちてきた時は『・・・もう嫌だ。何でこんな仕事選んだんだ。辞めてやる、絶対に辞める・・・!!』と固く心に決意しました。

 

 

そんな3年間の中、家庭事情はかわらず悲惨な事になっていまして・・・。

父は脳梗塞の後遺症で左半身に軽い麻痺が残りました。トイレに行くのにも一時は間に合わなかったり、段差に躓いてコケたりと危なっかしい面が多々ありました。

なので思いきって家族3人引っ越しを決意します。私からすればちょっと急でしたが3人になっての新たな一歩的な意味でも良かったかと思います。

 

・・・・・けれど母のリウマチはどんどん悪化していき、買い物に行くのにもしんどい有様。父は前からモラハラでキレやすかったのに脳梗塞で血管のどこか切れたせいか更に怒りっぽくなりました。

前の家でもたまにあったのですが父と母娘のご飯は別々だったりしました。しかもこれは父がたまに望んでしていた事です。

前の家だと1階に母・私・伯母の3人で食卓を囲み、2階では父一人で食事なんてこともありました。たま~に私が父のご機嫌取りや気まぐれで父と二人で食べる事もありましたがあんまり長くは続きません。

 

私の父は本当に何を考えてるかさっぱり分からない人です。なので前回の記事でお話した通り引っ越してからも自殺未遂を1回しています。自分の持ってる睡眠薬を大量に飲んだのです。

この原因なのですが「体が言う事を効かなくなった」「生きていてもしょうがない」などとうわ言のように話すのです。一体何がしたいのやら私と母には一生分かりません。

結局は軽い睡眠薬だったので飲んでも大事には至らず、その日の内に病院から家に逆戻りでしたけどね。迷惑な人です。

 

父のキレる原因もさっぱりで、母が自分に何もしない・私が言う事を聞かない/逆らったなど身勝手なものばかり。

母に衛星放送を付けるよう命令させたり、誰の為を思って引っ越したのかを全く理解していないんです。

私だって滅多に反抗したりだのしてません。例ですが「朝の挨拶をしなかった」→「そんなにお父さんの顔見たくないんか?」と勝手にキレて勝手に1・2ヶ月黙り込みます。全くもってどういう神経してるのか分かりません。

夫婦仲が稀に良い時もありますが、幼少期の頃から変わらず父の機嫌一つで状況が反転する為長く続かないのも変わらずです。

 

引っ越ししても薄いふすま一つで部屋が区切られている為互いのプライベートなんかあったもんじゃありません。

父がそこそこ大きな音で好きな韓国ドラマを見るのでその音で眠れませんでしたし、父は昔っから独り言を呟いて勝手に怒鳴る事もあるのでそれも丸聞こえ。ストレスだらけです。

父が難聴だったから母と娘の喋り声があまり聞こえないのが救いでしたけどね。文句言っても本人には全然聞こえてませんから。

 

・・・・そもそも何で3年間も勤めたかというと、昔から母の影響で細木数子先生の六星占術(占い)に凝ってまして。

私が就職を決めたのが安定の時期。そこから陰影・停止・減退という3年間の大殺界に入ろうかと言う時でしたから中途半端に辞めれませんでした。

意地でも嫌でも続けるしかなかったです。よく頑張ったとこの頃の自分を褒めたいです。

 

さて今度は品出しバイトを辞める前のコンビニバイト編です。

バイトを辞めたらお金がなくなるので仕方なくコンビニで働く事になりますが思い出したくもない・・・。地獄x地獄=大焦熱地獄です。

コンビニを抜けた先の工場勤務はようやく安住の地かと思いきや家庭事情が道を踏み外します。両親の離婚・父の逮捕・またもや引っ越しなどなど・・・。

 

『喉元過ぎれば熱さも忘れる』。よく言ったことわざです。

ここまで文章書いてしまえば少し楽になりました。こうして綴る事は大事ですね。

タイトルもちょっと思い切ってテイスト変えてみました。口調が悪くて申し訳ないです・・・。

 

ここまでの長文読んでくださり、有難うございました。

次の記事→まだお待ちください。